親父とお袋を連れて、京都から和歌山を廻る旅に出た。車で出かけのはいいけど、当時はまだ主要道路にしか高速なく、もちろんナビもない時代で、京都から和歌山までどのくらい時間がかかるのか予想できなかった。うちの親は海外にはハワイだグアムだと何度となく海外旅行に行っていたがが、何故かお袋は京都は初めてであった。清水寺、金閣寺、銀閣寺、龍安寺、南禅寺、嵐山とお決まりのコースを一通り巡った。初めて訪れたお袋は感激ばかりしていたのを思い出す。しかし現在は、京都観光を車ですると拝観料と駐車代で思わぬ出費になってしまう。それを私は行く先々で御朱印をもらっているので、これも数が多いと馬鹿にならない。しかも御朱印は300円から500円値上がりしたので、これも好きで集めているとは云え、かなり負担になる
京都の葵祭を回避して和歌山に向かったが、渋滞で時間がかかった
京都に2泊して和歌山に向かう日に、葵祭がこの日に行われるのを知った。お袋は葵祭を見たそうにしていた。お袋は積極的に自分を出すタイプではないが、息子の私には手に取るようにお袋のことが分かった。しかし葵祭を見物していたら、後の和歌山を一周する予定は全て狂ってしまった。和歌山まで時間がかかるのか予測できなく和歌山でのホテルは予約していなかったので、京都にもう1泊しても良かったが、4泊5日の予定では、和歌山に行けそうにもない。葵祭を諦めて和歌山に向かった。名神高速を通って大阪から堺まで行けたが、そこから先は下っ走りだ。結局、和歌山市まで抜けるには、渋滞渋滞で随分時間がかかった。その間、和歌山で観光名所をした訳ではないのに、串本には夕方5時頃になっていた。
静かな素朴な温泉の串本に泊まって大正解だった。
もう少し行けば南紀勝浦温泉があるが、実際、勝浦まで行ってホテルが取れるのか分からないので、串本に泊まることにした。「♪ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船・・♪」の串本節で知られるていたが、温泉場としては規模が小さくホテルや旅館も数多くはなかった。海に近い旅館に泊まることにした。ちょうど橋杭岩が見える立地で温泉場の騒がしさはなく、環境は抜群だった。温泉に浸かったがあまり記憶に残っていない。記憶に残っていなければ極平凡で極普通の温泉だったのでは…。悪くかったら悪い印象が残り、良ければ今でも覚えているはずだ。だが食事になって驚いた。品数の多さと豪華さに唖然とした。当時、南紀勝浦の旅館では1泊1万5000円くらいが相場だったが、串本は8千円だった。当然食べれる量ではない。食事を残すのは勿体無いのと気持ちと旅館に申し訳ない気持ちにさせた。南紀勝浦ではなく串本にして大正解だった。車の運転で多少は疲れたことも相俟って、その夜はグッスリと眠れた。
太平洋に面したダイナミックな自然を満喫できた串本
朝目覚めると橋杭岩に朝日が輝き、とても不思議な気持ちにさせた。串本は本州最南端の地で、1年間を通して平均気温が約17度と温暖な気候で、太平洋に面したダイナミックな自然が満喫できる。朝は爽快だった。串本海中公園と橋杭岩を眺めて鳥羽に向かったが、しかし串本海中公園は期待外れだった。何しろ窓が少し汚れており、泳いでいる魚も少なくガッカリした。
親には親孝行のつもりだったが、その親も二人とも他界してしまった。京都と串本をテレビで見ると親を想い出してしまうので、私も年をとったってことかなのかもしれ。