実際行ってみるとテレビの映像とは違う場所が多々あるものだ

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テレビなどでイベントを観ている時は素晴らしく感じるが、実際に行ってみるとガッカリする場合が多々ある。例年2月行われる裸まつりで知られる岡山県の「西大寺」がそうである。約10,000人の下帯姿の男どもが、2本の宝木(しんぎ)をめぐって激しい争奪戦を繰り広げる、その時の会場は熱気ムンムンでその様子は圧巻で勇壮そのもの。そして宝木を取った者が福男と呼ばれ、福が得られると云われる祭り。一度は実際に観てみたいが、あの人混みの中で見物する勇気もなく、いつも先送りにしていた。しかしある時に岡山に観光に行くチャンスがあった。ついでに西大寺に行ってみた。裸まつりの時はあんなに活気に溢れていたのに、祭りがない時は参拝者が一人もいなく閑散としている。しかも意外と狭く観光に来るのは不向きな所である。それでも雰囲気だけでも感じたくて妄想してみたが、やはり虚しいものだった。行われる

福男を巡って争われる参道を見て、少しガッカリした

福男が行われる「えべっさんの総本社・西宮神社」。福男の起源は定かではないが、開門を待ってお参りする習わしが競争に発展したと伝えられている。例年午前6時、多い時で6千人の参拝者が集まり、表大門の開門とともに一斉に境内に飛び込み約230mを全力で走り、本殿へ先着した順に一番福、二番福、三番福が認定される。記録によると1921年(大正10年)から。1935年(昭和10年)まで、15年間連続で福男として一番乗りを続けた人物もいた。ここもテレビで観ている所と違った感じがした。確かに走っているコースにはテレビで観た場所も感じるが、でも距離は意外と短い。ただ「西大寺」と違い、参拝客がチラホラ見受けられるが、福男のような緊迫感はない。著者が訪ねた時には屋台の物売りが2〜3軒いたが、何となくイメージとは程遠く感じてしまった。

「蘇民祭」の迫力を求めて黒石寺行って見たが、その面影は少しも感じなかった


岩手県奥州市江刺に、三十三観音と共に奥州三十三観音の霊場として知られる「黒石寺」。この寺は例年1月に「蘇民祭」が行われる寺院として有名。「蘇民祭」の時は下帯姿の男どもが蘇民袋を巡って争奪戦が繰り広げられる。裸の男どもから湯気が出るほど熱気を感じる。また興奮した数人の男が下帯も拭すて、スッポポンになる始末。その「黒石寺」に夏に行っても期待できないのをい覚悟で行ってみた。しかし想像以上に閑散としていた。驚いたのは門が閉ざされ人の気配は全く感じない。お参りもできない始末。それでも黒石寺の御朱印が欲しくて社務所を探したが、社務所も見つからない。実際、社務所がないのではと疑ってしまう。壁に沿ってに少し探してみたが、やはり見つからない。誰か通らないかと暫く待ってみたが、一向に人の気配さえ感じない。流石に諦めた。

ロマンを求めて遠野に行ってみたが、やはり行かずに空想しているのだった

子供頃から遠野には行ってみたかった。しかし遠野はどこかに行ったついでに行ける所ではない。遠野にわざわざ行く目的がなければ、なかなか行けない立地の街だ。しかし語りべの昔話には余り興味はない。カッパに少し惹かれた。カッパなんかいる訳がないと思っているが、カッパには何かロマンを感じる。実際、遠野に行ってみたら「カッパ淵」と称する幅2~3mの小川に場所があり、その変哲もない小川で、釣竿の糸にキュウリをつけてカッパを釣っている子供が2〜3人いた。そんなことでかっぱは釣れる訳がない。それよりもカッパなんかいる訳がない。そう思っては身も蓋もない。そう思いつつ数分、その小川を眺めていた。結局誰の竿にもカッパはかからない。この淵にはカッパが出てきて悪さをしたらしい。今はその淵らしきものはないが、夫婦のカッパが鎮座する祠が残っている。この「カッパ淵」では子供達に混じって大人もキュウリを餌に竿を垂らしている。実際カッパなんかはいないのを承知の上、ロマンを求めているようだった。この遠野には「どぶろく」の製造を許されている民宿があり、そこに立ち寄って「どぶろく」を購入。しかし「どぶろく」はその年によってできの良い年と悪い時があるようだ。今回、購入した「どぶろく」は悪い年のようだった。なぜか「どぶろく」が酸っぱかった

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