関越トンネルを抜けると長い直線道路が続く

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関越道の関越トンネルを抜けると湯沢町。湯沢町を過ぎると長い直線道路が続く。車も少ないのでついついスピードを出してしまう。著者も最高で○○○kmを出したことがある。その時、同乗者の一人が後ろの席から思わず身を乗り出し「オッ」とも「ウッ」ともつかない声を出したが、素知らぬ顔して運転を続けた」。車を降りた時に「あの時○○○km」出したでしょう」と云われてが、「そうだった」と初めて知ったような返答をした。著者もスピードを出す方だが、○○○kmは過去にも数度しかない。あれから数十年が経ち著者も歳をとり、運転もスッカリ大人しくなり、世間で云う「安全運転」をしている。でもこれは自分だけ思っていても、周りではななか認めてくれない。長年培ったイメージがそうさせているかもしれない。

 仕事絡みで行った咲花温泉だが、温泉らしい情緒はなかった。

この日は、咲花温泉にあるホテルが目的だった。ここのホテルには仕事上で日頃から世話になっている支配人がおり、お礼を兼ねての承継訪問で、ついでに1泊する目的でだった。この咲花温泉は、阿賀野川のほとりでに湯の花が咲き「湯の花が咲く」から咲花という文字を使ったようだが、本意は分からない。着いた所は磐越西線が走り、列車が通る音しか聞こえない静まりかえり、正直云って温泉らしい情緒は少しも感じられなく、目的のホテルは幾分高台になっている所に位置していた。ホテルに入り支配人らしき人物に挨拶をした。白髪で痩せ細った大人しいそうな支配人で、普段は電話だけ付き合いで顔も知らなかった。逢ってみると想像していたイメーずと違っていた。通された部屋は二部屋で、とりあえず横になった。何しろ東京から一人で運転してきたので多少疲れていたのか、横になると心地よかった。少し時が経ち温泉に浸かった。ここの湯は全国でも珍しいく緑色をした天然温泉で、山側にあるためか阿賀野川が見えるわけではなく、景色は楽しめない。岩造りの露天風呂で庭木を眺めながらの入浴だが、それなりに寛げた。

 「越乃寒梅」をいただいたが少々持て余し気味だった

旅の目的の一つでもある食事は、5人が一部屋で食べたが、可もなく不可もなくっていう感じであまり印象に残らなかたが、支配人は「越乃寒梅」を5本出してくれた。しかも薄いガラスの徳利に入っております正味1合はある。夏の暑い日はやはりビールを呑む人が多く、ご多分に漏れず我々もビールだった。せっかくいただいた「越乃寒梅」だが、少々持て余し気味。支配人には悪いが「越乃寒梅」は2本で良かった。5階建ての館内は、余り客もいないのか、静まりかえっている。この咲花温泉は初めて訪れたが、我々だけのはしゃいでいるようだった。かと云って寝るまでジーッとしているのも詰まらない。それなりに楽しく過ごした。翌朝の朝食は質素な感じがした。メンバーの一人が昨晩の夕食をあまり食べなかったのか、朝飯をモリモリ喰っていた。終いには、我々が残したキャラ蕗や漬物を集めて食べた。多分、大きめの茶碗で5杯を食っただろう。

 あのホテルが廃墟となり、心霊スポットになっていた。

磐越道を通って会津若松で出て観光した。著者は会津若松は何度か訪れていたが、同行者の殆どが初めてだったので、鶴ヶ城や会津さざえ堂、会津武家屋敷などを巡り夕方の早めに帰路に向かった。その後、2年程は咲花温泉の支配人からは仕事をもらっていたが、急に疎遠になってしまった。今考えても理由は分からなかい。さらに5年も経った頃だと思うが、咲花温泉の支配人のホテルが閉館したと分かった。多分、経営が上手くいかなったのだろう。さらに数年経った頃、驚いたことに咲花温泉の支配人のホテルが廃墟となり、心霊スポットの名所となっていた。廃墟に纏わる噂がネット上でも賑やかになっていた。今思い出したが咲花温泉を訪れた時に、佐取古戦場跡の石碑があった。もしかしてこの石碑が関係しているのかもしれない。ネットっでは「武者の霊を見た」とか「1階のお土産屋の奥で白い人影が一瞬横切った」たとか様々な噂が無責に飛び交っている。考えてみるとあの支配人は、どこか生気がなかったような気がする。支配人には申し訳ないが、何故か思えてくる。

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